みずいたりてきょなる

持続可能な社会

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1.地球の環境収容力
世界中を経済破綻の荒波が襲っています。
資本主義経済は成長を原動力としています。
けれども、あらゆる指数関数的な無限の成長は、環境収容力を上回って成長し続ける事が出来ず、環境の有限性(資源の有限性、食糧生産の有限性など)が遠因となり、いつかはその成長を阻まれます。
今、世界中に散見されるバブル崩壊が当面避けらて、資本主義経済が延命できたとしても、いずれ第2弾、第3弾の危機が起こり、資本主義経済と指数関数的な無限の成長は打ち砕かれます。

「エンデの遺言「根源からお金を問うこと」」(河邑厚徳+グループ現代)は、私が何度も読み返した本です。
この本に、マルグリット・ケネディのインタビューが掲載されています。

 曲線Aは、自然界の成長行動を単純化した形で示しています。 私たちの体も、植物も動物もこの曲線に従って成長します。

 曲線Bは、機械的成長ないし直線的成長を示しています。 すなわち、人間が増えれば商品も増え、石炭が増えればエネルギーも増えるといった関係です。  このモデルは、私たちの分析にとってあまり重要ではありません。 とはいえ、このような同じ割合での増加ですら限られた容量の地球上では、維持不可能であることに留意する必要があるでしょう。

 重要なのは指数的に、倍増する割合で成長する曲線Cです。 この曲線は、最初の曲線Aのまさに対極をなすものです。 指数的な成長を示す曲線Cは最初非常にゆっくりと経過し、やがて着実に増加して、最後はほとんど垂直な傾きの量的増加に移行します。 自然界においては、こうした成長は通常、病気や死にかかわるところで見られます。 例えば、癌は、指数的な成長に従います。 だから、たいてい癌を発見したときは、もはや治療不可能となっています。

 利子が利子を生む複利というのはまさにこの指数的な成長を示すものです。 それがいかに非現実的なものであるかは、次の例でおわかりいただけると思います。

 ヨゼフが息子キリストの誕生のときに、5%の利子で1プフェニヒ(1マルクの1/100)投資したとします。 そして、ヨゼフが1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個、引き出すことができるのです。 永久に指数的な成長を続けることが不可能なのは火を見るよりも明らかでしょう。

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 このまま利子が膨れあがっていくとしたら計算上、遅かれ早かれ、だいたいは二世代後に、経済的な破綻か、地球環境の崩壊かのいずれかへと突きあたります。 それが根本問題です。 信じる、信じないの問題ではなく、誰でもコンピューターがあれば計算できることです。 そして、国が最大の債務者です。 資金を借金によって調達し、それに対して利子を支払っているわけですから。 国は、このシステムによって、最悪の当事者といえます。 しかも、多くの国は、今日、個人としてなら銀行から一銭も貸してもらえない局面に立ち至っています。

 そして、もちろん、もう一方には資産の所有者がいます。 このシステムから利益を得ているのは、ほんの一握りです。 いま、アメリカでは、人口の1%が、その他の99%よりも多くを所有しています。 ドイツでも、遅かれ早かれそうなるでしょう。 つまり、一方で、どんどん貧しくなる国があり、自然環境も奪われつづけていきいます。 その一方で少数の者たちが、法外な利益を吸い上げていく。 それがいまの経済システムです。

この書籍の初版は2000年2月の発行でした。 できればケネディが予言した二世代後まで経済システムがもてば良いのですが、どうでしょうか。

個人の自己破産、企業の倒産から小さな地域紛争(戦争)まで、全て、見方を変えれば、指数関数的な経済の成長を頓挫させて一旦成長をリセットする仕組みです。
しかし、小手先の小さな破綻とリセットを幾ら積み上げても、総体的なところで指数関数的な成長をとどめるには足りないようです。

あらゆる指数関数的な無限の成長は、環境収容力を上回って成長し続ける事が出来ませんから、環境の有限性(資源の有限性、食糧生産の有限性など)が遠因となり、いずれその成長を阻まれて、巨大な破綻とリセットが私たちを襲うでしょう。

同じ書籍で、バイカル湖を舞台にした漁民が環境の有限性に阻まれた例が、ミヒャエル・エンデへのインタビューを通して示されています。

 紙幣発行が何をもたらしたのか? 一つの実例が、ビンズヴァンガーの著書にでています。 たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまでは良い生活を送っていたというのです。 日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。 毎日売れるだけの量を採っていたのです。 それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。 どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。 それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。 冷凍倉庫が建てられ、捕った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。 そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。 ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。 そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。 競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。 しかも、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。 これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。

バイカル湖を地球、漁民を世界中の人々、魚を石油(※1)や資源に置き換えてお考え下さい。
環境収容力が阻むのは、経済成長だけではありません。 無限の人口増加も同様に環境収容力によって阻まれます。


2.セント・マシュー島のトナカイ
セント・マシュー島のトナカイの逸話は、とても印象深いです。

第二次世界大戦のとき、米国湾岸警備隊はこの離島に隊員の食料資源として29頭のトナカイを放牧した。
島は何百年もかけて生育した4インチもの厚さの苔に覆われていた。
トナカイを捕る者がいなかったために、餌となったこの苔によってトナカイは1963年には6000頭にも増加した。
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トナカイの数がピークに達してから3年以内に、その数は42頭までに激減した。
右のグラフは、オーバーシュートになるといかに急速に数が減少するかを示している。
苔の生育はきわめてゆっくりなために、環境収容力は6000頭よりもずっと少なかったのである。


生き物の数がオーバーシュートすると、かならずその後で大量絶滅が起きる。

トナカイを養った苔も、現代社会を支えて来た石油も、再生が極めて遅い資源・エネルギー源と言う点で同じです。
上のグラフはとても理に適っていて、単純です。 けれども、苔とトナカイを、そのまま石油と経済成長・人に置き換えれば、成長に基づく資本主義経済と世界の人びとの将来に待ち構える崩壊の度合いの激しさに、慄然とさせられます。


3.イースター島
知性を有する人類をトナカイと同列に扱うのは、あまりに的外れかも知れません。
次に、イースター島での例を見てみましょう。 こちらはトナカイではなく、社会生活を営む人びとがかつて辿った歴史です。

 モアイで有名なイースター島に見る文明の崩壊の歴史について、ご存知だろうか。長く栄えていた文明もついには滅びる。人間の歴史の中で、多くの文明が生まれ、繁栄し、やがて崩壊して消えていった。そのような文明の崩壊の一例をイースター島に見ることができる。
 アメリカの進化生物学者でありノンフィクション作家であるジャレド・ダイアモンドは、その著書『文明崩壊(上)(下)』(楡井浩一訳、草思社、2005)の中で、イースター島文明の崩壊について詳細に考察している。
 イースター島は、太平洋の南東に位置する絶海の孤島である。イースター島に人が住み着いたのがいつ頃なのかについては、意見が分かれるところではあるが、およそ西暦300年から1200年までの間であろうと推測される。

(中略)

 大型のモアイ像を運ぶためには、成人が500人必要であったと計算されるという。最盛期の島の人口については、6000~3万人までの諸説があるが、ダイアモンド自身は1万5000人という説を支持しているようだ。イースター島は12の氏族で構成されていたと考えられ、そうすると一氏族あたり1000人超えとなる。モアイ像を運搬するのに、成人男子500人必要という線もうなずける。

(中略)

 こうした事業を成し遂げるためには25%も余計に食料が必要だったと推測される。食料だけではない。運搬するためには多くの木材を必要としただろうし、さらに樹皮から作る長い縄も大量に必要だったのだ。
 それが何百年にわたって、全島で行われていたのだ。それだけの数の人を組織化し、事業に動員できるだけの社会システムと余剰エネルギーがあったのである。
 花粉研究から、初めて人が入植した頃のイースター島は、幹の直径が2メートルという巨大なヤシなど、背の高い樹木が生い茂る亜熱帯雨林の島であったことが分かっている。それらは畑を造るために切り払われ、薪として利用され、また火葬の際にも使われた。しかし1300~1200年前頃から椰子の木は減少し始めたと思われる。
 森林破壊は16世紀から17世紀にかけてピークに達し、1600年頃には、木炭に代わって草や芝が燃料となったと推測される。つまりこれは、木材の枯渇を意味している。漁労をするための、あるいは外洋を航海するためのカヌーを造ったり、モアイやアフを運搬するための梯子を作ったり、家を作ったりするための木材や、屋根を葺いたり、縄をなったり、布を織ったりするための樹皮など、さまざまな資源となり燃料となる木がなくなってきたのだ。
 樹木が枯渇すれば、表土は流出し、土壌は侵食される。養分は溶脱し、作物生産は減少する。食生活の貧困化は、貝塚に捨てられている骨の分析から推測される。貝塚の分析によると、初期の段階では種々の海鳥、陸鳥、アシカ、ネズミイルカ、マグロ、甲殻類、ネズミなどの骨が確認できるが、年代が下がるにつれて貧困化してゆく。
 ネズミやイルカやマグロの骨が見られなくなるのは、遠海漁ができなくなったことを示し、また陸鳥の骨が見られなくなったのは、絶滅したのだろう。末期には、人骨もゴミ捨て場から無残に砕かれた形で出土するようになり、人肉食が行われた事を物語る。1400~1600年の最盛期に比べ、1700年には人口も激減している。

(中略)

 最盛期には1万人前後と推測されるイースター島の人口は、1774年にイギリス人のジェームズ・クックが、この島の調査をした時には600~700人程度になっていたといわれる。さらにヨーロッパ人がもたらした天然痘によって、多くの島民が命を落とし、残った者もペルーによって、奴隷として拉致されて、1872年の島民数は111人まで激減した。
 また、ヨーロッパ人が羊を持ち込んだことで植物の根まで食い尽くされ、20世紀前半には自生植物のほとんどが姿を消した。


イースター島を現代の地球に置き換えてみる事は、トナカイを人類に置き換えるよりは妥当だと思われます。
ラパ・ヌイ(イースター島の現地語名)の住民が味わった悪夢を、できれば私たちは繰り返したくないものです。

まだ半分の森林が存在していたとき

ラパヌイのある長老は、山頂から谷の景色に見入ったであろう。

そして若かったころ、その土地には伐採された部分はほとんどなかったことを思い出していたにちがいない。

島民はかれらの生命サポートシステムを破壊することを止めるべきだという認識に打たれたことだろう。

彼は島民に今のまま伐採を続けることはできないと警告しようとしたであろう。

材木切り出し人が、「木よりも職だ!」と叫ぶ声が想像できる。

石像彫刻師は言っただろう。「石像作りは我々の文明の基盤だ」

宗教指導者は「ラパヌイの女性は神のためにさらに多くの石像を作るために、もっと子供を産まなければいけない」

政治家は「高齢化社会を維持し、経済成長を刺激するために、もっと多くの人々が必要だ」

地球は何時だろう...

地球の木や石油の半分を使い果たした今?

われわれの技術文明は、ラパヌイの悲惨な運命をたどるのだろうか?

人口がその環境収容力を超えた後:

人口は有限資源が減耗するまで増え続ける。
その後突然、飢餓、病気、戦争などによって人口が激減する。
もし環境が回復不可能なほど痛めつけられていなければ、人口は再び増加し始めるだろう。
もし回復不可能な状態であれば、人口は絶滅するか、または環境収容力が低減したために、低いレベルでわずかな数だけが生き残るだろう。


4.I=TAP
地球が有限なのですから、人びとがそのライフスタイルを、より一層、持続可能な割合を高めたライフスタイルに変えて行けないかな? と思いますが、解決は容易ではないようです。

1968年、ポール・エーリックとアン・エーリックは、公式 I=TAP で、I(環境への影響 インパクト Impact)が、T(テクノロジー Technology)、A(豊かさ Affluence)、P(人口 opulation)に因る事、そして、T(テクノロジー)、A(豊かさ)、P(人口)という要因は、それぞれ積み重なるのではなく、互いに掛け合わせて増大する事を説明したそうです。

I(環境への影響)=T(テクノロジー)×A(豊かさ)×P(人口)であるなら、I(環境への影響)を減らす為に、私達ができる対策は、
「より人の手による労働力を使う(テクノロジーを減らす)」
または
「使うお金を減らす(豊かを減らす)」
または
「人の数を減らす(言い換えると、人口を減らす)」
または
これら3つを組み合わる
です。

I=TAPの公式は、これら3つの要素を削減することを求めている。

しかしこれら3つの要素のどれかを一つでも自由意思で削減することは、人類固有の性質に反する。

われわれのテクノロジを減らすため、稼ぐお金を少なくすること、人口を調節することには、厳しい手段が必要とされるだろう。

知性としてそれが真実であることを知っている。感情のレベルでは、自分たちにこれらの変化を課すことは、表面的にしかできない。


5.環境収容力の拡張
公式 I=TAPの右辺が膨らみ、環境収容力の限界に直面し、崩壊した文明は多いです。
一方で、例えば、前漢末、6000万人近かった中国の人口は、気候変動に伴う環境収容力縮小(公式 I=TAPの左辺の縮小)によって、三国志の時代に1000万人弱まで減少しました。(※2)

ところで、環境収容力I(環境への影響 インパクト Impact 公式I=TAPの左辺)に対して、私たちが及ぼす影響が過剰になっても、それを受け止める環境収容力がより拡張したなら、問題は生じません。
生き延びようとする人びとの生存への希求は、幾度か環境収容力の限界を拡張させる事に成功して来ました。
ヤンガードリヤス寒冷期、気候の寒冷化に伴い縮小する環境収容力に対して、人びとは農作を始める事で、抗いました。 その結果、氷河期を過ぎても農作は継続され、その後の人口増大が賄われました。(※3)
新大陸、アメリカへのヨーロッパからの移民は、人口増大を、その人びとが暮らす地理的な環境を拡大する事で、解決しました。
石油をエネルギー源とする現代社会は、石油を利用して環境収容力を高める事で、現在の膨大な人口を養う事に成功しました。

しかし、環境収容力を拡張しても、やがて経済活動が成長し、人口が増大し、大きくなった環境収容力の限界によってさえ、いずれまた人びとは阻まれる事となります。
更に問題がひとつ。 石油は、セント・マシュー島の苔や、イースター島の森林にも増して、再生が遅いのです。
石油を使い切った後、人の生涯に比べて余りに長い石油の再生期間を待てない私たちに訪れる未来はどのようなものでしょう。
あるいはその前に、石油に代わる、環境収容力を高める代案を、私たちは見出せるでしょうか?


6.人口の抑制
I=TAPの公式から考えれば、T=脱工業化も大事でしょう。 A=贅沢の抑制も大事でしょう。 P=人口の抑制も大事でしょう。
人減らしのために、大掛かりな戦争などを引き起こそうと考える勢力もあるかも知れません。

P=人口に関して、私たちが取る事が出来る2つの選択があります。

ひとつは前述のイースター島や、前漢末から三国志時代に至る時期の古代中国のような、無策と、それに続く人口崩壊です。

よりまともな選択肢は、人口の抑制です。

現代版「ノアの方舟建設計画」

 2009年5月5日、ニューヨークはマンハッタンにあるロックフェラー大学の学長でノーベル化学賞の受賞者ポール・ナース博士の邸宅に世界の大富豪とヘッジファンドの帝王たちが集まった。この会に名前はついていないが、参加者たちは「グッドクラブ」(善意の集まり)と呼んでいる。

 主な顔触れはデービッド・ロックフェラーJr、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルムバーグ、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフレーと言った超豪華メンバー。この集まりを呼び掛けた人物はパソコンソフトの標準化を通じて寡占状態を築き上げ、個人資産5兆円を超すビル・ゲイツである。

 これほどの大富豪たちが一堂に会し、密かに議論したテーマは何であったのか。実は世界の人口増大をいかに食い止めるか、そのために彼らが所有する巨万の富をいかに有効に活用すべきか、ということであった。

 議長役としてこの会を取り仕切ったビル・ゲイツによれば、「人類の未来に立ちふさがる課題は多いが、最も急を要する問題は人口爆発である。現在67億人が住む地球であるが、今世紀半ばには100億人の可能性もありうる」

「このままの状況を放置すれば、環境・社会・産業への負荷が過大となり地球環境を圧迫することは目に見えている。なんとしても人口爆発の流れを食い止め、83億人までにとどめる必要がある。各国政府の対応はあまりにスローで当てにはできない。潤沢な資金を持ち寄り、我々が責任をもって地球の未来を救うために独自の対策を協力して推し進める必要がある」とのことであった。

上記引用中において、83億人が維持可能な世界の人口とされておりますが、この数値は楽観的過ぎるかも知れません。
化石燃料を前提条件から外せば、維持可能な世界の人口は10億人程度とも言われています。 化石燃料に代わるエネルギーシステムが確立されなければ、83億人の人口は画餅となりかねません。

ところで、環境収容力を拡張する事無く、持続的に文明を維持する事に成功した例として、江戸時代の日本を挙げる事ができます。
戦国時代が過ぎて平和な時代となり、人口が増大し、1702年に、江戸は世界一の人口を抱える大都市となりました。
当時のエネルギー源であった森林は、伐採が進み、森林資源枯渇による土壌浸食、洪水の増加、緑肥・飼料の不足等により、人びとは飢饉に度々見舞われるようになっていました。

 森林資源を奪い合いようなことになっていれば、環境はさらに破壊され、人口もまた崩壊していたことだろう。しかし、江戸文明は、強力な政府の施策によってこの危機を克服し、安定した人口と持続性のある資源消費率を、およそ2世紀にわたって達成したのだった。
 施策の第一に、政府は木材消費の抑制を実施した。
 資源の消費を抑制するには二つの方向からのアプローチがある。一つは一人当たりが消費する量を抑える方向であり、これには総量制限や、利用効率の向上などがある。もう一つは人口を抑制する方向だ。森林資源消費を抑えるための具体的アプローチとしてダイアモンドは、

 消費を抑え備蓄するような施策
 アイヌからの海産食料輸入
 漁業技術の発達による漁獲量増加
 人口のゼロ成長(晩婚化、長期授乳、避妊・堕胎・嬰児殺等)
 軽量建築による木材使用量の削減
 燃焼効率の高い「竈(かまど)」の普及
 全体暖房から火鉢による局所暖房への移行

などを挙げている。一方で失われた森林資源を再生するために、

 苗木の植え付け
 緻密で厳格な森林管理システムの整備

 を導入している。このような資源管理は、中央からの強力な指導の下、厳格に運用された。
 ここで注目すべきは、それらの施策の導入の順序である。政府は木材生産を以前のレベルに戻すことを急がず、とにかく時間稼ぎをする消極策、つまり省エネ策を打ち出した。そして資源の増産といった積極策が効果を発揮するまでは、状況の悪化を食い止めることに専心した。
 その間、林産物をめぐる基本原則を設け、木材供給過程(森林管理、木材運搬、木材消費)の各段階での管理体制を徹底し、育林に関する科学的知識体系(林学)の普及発達に努めた。つまり、最初に行ったことは「教育」である。消費を抑え備蓄に励むよう教育し、庶民の意識を変革する。また、森林管理・木材利用の法を整備することで、社会システムを整える。
 次に「省資源の実践」である。省エネの工夫やライフスタイルの転換、そして人口抑制を促す。それが十分定着したところに「増産された資源」が投入されたのだ。
 もし、この順番が逆だったらどうだろう。生活スタイルが変わらぬまま、消費構造が変わらぬまま、また、人口増加に歯止めがないままに木材流通を増やそうとすれば、森林伐採はさらに加速して、環境破壊と人口崩壊は、ポジティヴ・フィードバックを起こしたであろう。
 江戸時代の政府は、その過ちを犯さなかった。まず、資本の原資蓄積を節約により生み出し、無理なく環境の変化に適応したのである。

海に囲まれて山が険しいため雨に恵まれた日本の、森林再生能力の高さも幸いしました。
江戸時代中期以降、人口およそ3000万人程度で安定したまま、日本は明治時代へ至りました。

歴史上のあらゆる文明は、環境収容力の壁に阻まれて崩壊したか、稀に環境収容力の壁を越える方法を見出して収容力を拡大させて生き長らえたか、いずれかです。
江戸時代はその点、非常に特異です。
限定されている環境収容力の枠内で、環境収容力の壁を越える方法を見出す事もないまま、環境収容力の壁に打ちのめされて崩壊する事なく維持され得た文明は、恐らく江戸時代の日本だけです。
私たちは、江戸時代の日本から何を学ぶ事ができるでしょうか。


7.効率化は福音か?
A=贅沢に関して、無駄を省き高効率化する事で対処できないでしょうか。

例えば自動車のエネルギー効率はどうでしょう。
ガソリン車のエネルギー効率は約15%、ハイブリッドカーのエネルギー効率は約30%です。 これらに対して、電気自動車は熱損失が極めて少なくて、エネルギー効率が約80%に達します。

個人で電動バイクを手作りなさった「自由の代価」さんを訪ねて、電動バイクを試乗させて頂く機会がありました。

電池を積む前のバイクは、プロトタイプですからホイルなどむき出しです。

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後輪は、モーターを兼ねたホイルインモーターです。

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電動バイク、と簡単に言いますけれど、いろいろ知らない事が多い事を痛感させられました。
教わったまま、つらつら書き連ねます。

7.1 車体の強度
航続距離と最高速度からモーターとバッテリーが決まり、モーターとバッテリーを支えるフレーム強度からバイクの補強度合いが決まるのだそうで、まず、乗り手が求める航続距離と最高速度ありきで、設計が始まるのだそうです。

7.2 コスト比較
ガソリンバイクは今だと、概ね6~7円/km。電動バイクは0.2~0.3円/km。
石油枯渇を考慮しなくても、今のガソリン価格で考えてさえ、圧倒的にコストメリットがあります。

7.3 充電時間
「自由の代価」さんが今お使いの電池(リチウムイオンバッテリーでは無くて急速充電などできないそうです)だと、家庭のAC100V電源で6~8時間でフル充電できるそうです。

7.4 スペック概要
電池質量約35kg、バイクと電池合わせて約65kg。
最高速度は70km/h。 1時間ほど走れるから航続距離は70km以上だそうです。
中国製の中古電動バイク(HONDAのEV-neoも大体この車体と同スペックだそうです)は、速度30km/hで航続距離約30kmだそうです。
なんでも、中国はマナーが悪くて、法規制で30km/hの縛りを設けているのだとか。
いずれにしても実際に拝見したバイクは、中国製だとかHONDA製のバイクのスペックより、ずっと上等なスペックを持ったものでした。

7.5 スタートの加速具合
上り坂でのスタートも加速スムーズでした。
ちなみに中国製の中古電動バイク、上り坂でスタートは、力不足でした。

7.6 製作費用
モーターとコントローラーで17万円、電池が5万円位で、今回のバイクを作られたそうです。

乗ってみたのですが、その静かな事に驚きました。
バッテリーむき出しな外観はプロトタイプだからともかく、普通に町乗りするのには十分な乗り心地でした。

テレビがエコを喧伝し、危機感を持つ方が個人で電動バイクを作り上げ、各家庭では電球を一人一人がLEDに変える等の細かい努力を積み重ねている今、一方で、商売の名のもとに壮大な無駄がまかり通っています。
下の記事をお読みになって、私たちが暮らす社会と、その社会を回す経済営の、ひどく非効率な様子を如何お感じになるでしょうか。

コンビニ弁当廃棄の一方、飢餓に瀕する人は世界で10億

値崩れ恐れるセブンイレブンの廃棄強制に公取が排除命令

田中龍作 2009/06/24

 賞味期限の近づいたお握りや弁当を値引きしないようフランチャイズ店に強制していたセブンイレブン・ジャパンに対して、公正取引委員会は22日、「優越的な地位を利用した強制は止めなさい」と命令した。

 筆者宅近くのコンビニ店で店員さんがお握り、弁当、焼きそばなどを次々とカゴに入れていく光景をしばしば見かける。 コンビニ業界で言う廃棄(ロス)である。 廃棄した食品の仕入れ代金、(売れたと仮定した場合の)本部への上納金(チャージ)まで、すべてフランチィズ経営者が損失を被るのである。まさに踏んだり蹴ったりだ。

 セブンイレブン側は「鮮度を大事にするため...」などと説明しているが、子供だましの詭弁だ。 フランチャイズの安値販売は、あくまでも賞味期限内である。

 セブンイレブンが恐れているのは値崩れだ。 フランチャイズ店の安値販売で値引き競争になれば、フランチャイズからの上納金にあたる「チャージ」が大きく減る。 この構造はセブンイレブンに限らず大手コンビニチェーン共通である。 どの社も廃棄をフランチャイズ店に強制している。

 コンビニ本部は自らのビジネスモデルを固守するために年間17万t(コンビニ主要10社=朝日新聞記事より)もの食品を廃棄させているのである。

 世界の食糧援助は年間330万t(WFP=世界食糧機構まとめ)。 日本のコンビニだけで世界の食糧援助の5%を無駄にしている計算になる。

公正取引委員会の命令が出る3日前、国連食糧農業機関(FAO)は「10億人余りが飢餓に瀕している」とする報告書を発表した。  世界規模の経済危機で昨年より1億人増加したという。 地域別ではアジア太平洋が最も多く、6億4千万人。 2位がアフリカ(サハラ以南)=2億6,500万人、3位がラテン・カリブ諸国=5,300万人、4位が中東・北アフリカ=4,200万人などとなっている。

 ちなみにコンビニの廃棄分は5千万人分の食糧援助を賄う。 ラテン・カリブ諸国の飢餓を救えるのである。

 コンビニばかりではない。ホテル、ファミレス、ファストフード店の食品廃棄も夥しい。 日本は年間1940万tもの食糧を廃棄している。 世界の食糧援助の6倍近い。 飢餓にあえぐ世界の民を6年間も救える量だ。 食糧自給率は先進主要国最下位にしてこの壮大な無駄。 罪深さを改めて思い知らねばならない。

セブン-イレブン・ジャパンは2009年6月22日の公正取引委員会の勧告を受けて、翌日の23日、期限切れ商品の廃棄ロスコストの一部を、本部が負担することを発表しました。 これでこれまでと同様、食料の破棄が継続される事となりました。

お金第一。 我が身第一。
全体の調和を顧みず自己の利益のみ追求する事で、そのうち依って立つところの全体の調和が崩壊し、それと共に私たち自身がその拠って立つ基盤を失いかねません。
各個が対策を施そうにも、社会システムが全体として適切に機能していないと、努力もむなしくこのような顛末へと至りがちです。 ここでは、この議論に踏み込みませんが 、囚人のジレンマ的な面が垣間見えます。
社会システムを適正化して、この類の無駄を改善する事ができるなら、環境収容力に対して私たちはもっと余裕を持って日々の暮らしを続けられるだろうと思います。

例えば、あなたがオーブンレンジを買った為、それ迄10年以上使い続けた後、不要になった電子レンジを、処分するつもりだったとします。 そこで、情報誌の「譲って下さい」の欄に、電子レンジを希望する人を見つけ、まだ使える電子レンジを譲る事ができたら、電子レンジを廃棄処分するより好ましいでしょう。
フリーマーケットや、情報誌に載った「譲って下さい」の欄は、効率が低いです。 フリーマーケットや、情報誌を介した融通の手段が、インターネット上で、多くの人びとによって、高効率に行われたら、無駄は大幅に減るでしょう。
今の経済は供給ばかり過剰で、売れ残りを廃棄するような仕組みです。
そのような経済ではなく、需要に対して、必要な時に必要なだけの供給をあてがう事ができるなら、無駄を大きく減らす事ができます。

経済の効率化と共に、倫理の高さも無駄を省く為に奏功します。
需要と供給がマッチングしている社会で、加えて、人びとが倫理的に行動するなら、人々を取り締まる警察や裁判を減らす事が出来て、それら治安維持に要するコストも下げる事ができます。

環境収容力の限界に直面して、人びとが高効率な経済と社会の仕組みで持続可能な暮らしを営めば、随分と環境収容力に対してゆとりを持って暮らす事ができると思います。
そして、その社会で使われるエネルギーが、江戸時代の森林と同じく、持続的な再生可能なエネルギーであれば、なお望ましくはないでしょうか。

ここで、目を日本に向けましょう。
石油が枯渇して海外から食糧を持ち込めなくなったなら、日本国内の土地と資源だけで人を養わねばなりません。 今のように里山を荒廃させず広範に耕作し、ベルトコンベア式大量生産を撤廃し、食の廃棄など一切無く、無駄を極力省いた高効率な生活を日本中が実践したとして、エネルギーと食を日本国内だけで賄った場合、養える人口はどの程度でしょう?
江戸時代の日本の人口が約3,000万人でした。
残念ながら、2010年の日本の人口はその4倍の1億2,000万人です。
高効率な社会運営によって、私たち日本の国土は、3,000万人越えてその4倍もの人口を養う事が出来るでしょうか。

効率化を図り自給率を高める事は必須です。
けれども、効率化だけでは薔薇色の福音とはなりそうにありません。
海外からの食糧の輸入を含む、貿易による補完は、必須と思われます。


8.脱工業化
T=脱工業化について言えば、原始時代のような生活に戻ると言う事ではありません。
けれども、これからを担う代替エネルギーシステムが確立できたとしても、それが賄う環境収容力は恐らく化石燃料の環境収容力に敵わないでしょう。
より少ないエネルギーで運営される21世紀は、大量のエネルギーを湯水の如く消費した、急激な進歩と乱暴な戦争の世紀だった20世紀とは異なり、ずっとゆっくりとした静かな時代になると思われます。

ゆっくりとした静かな21世紀の暮らしの一例を、以前、太陽光発電でご自宅の電気を賄っておいでのお宅で、拝見させて頂く機会がありました。
佐賀県にお住まいのIさんは、太陽光発電パネルや、昇圧装置、AC/DC変換器、得られた電気を貯めておく鉛電池など、すべてバラ買いなさり、ご自身で設備を組み上げられたそうです。

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太陽光発電パネルは、16枚×1セットと、8枚×1セット。
おおむねこの程度で、自宅の電気を賄えるようです。
一般家庭にある電気消費量が大きい家電ベスト3は、エアコン、冷蔵庫、照明です。

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「エアコンを自然エネルギーで使うのは無理です。陽光が強い夏の冷房ならまだ幾らか使える場合もありますが、暖房は無理です。 うちにもエアコンがありますが、使っていません。」
とおっしゃるIさんは、私たちがうかがったまだ寒い春先、代替に薪ストーブで暖をとっていらっしゃいました。

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「冷蔵庫も無理ですね。」とおっしゃるIさんは、電気を使わず常時13℃を保つ、分厚い断熱材を貼った定温庫を備えておいででした。
「自然エネルギーは、貯めた電気が無くなればおしまい。 電気を消して寝ましょう。 湯水のようにエネルギーを使えるのが当たり前でなく、停電が当たり前だと思った方がいいです。」
と、おっしゃるIさんの自動車(プリウス)に乗せて頂き、別の場所へ移動する最中にご自宅からIさんへ、「○○の電気使っても大丈夫?」と問い合わせの連絡が入りました。
「使っていいかどうか、電気の量を確認しながらの生活です。 その問い合わせの電話だったんですよ。 こんな感じの暮らし方になります。」と笑っていらっしゃいました。

常時電気を要するMRIのような医療機器を使う事が出来ず、輸送燃料費の高騰と共に遠方への移動も難しくなっていくのですから、診察は遠隔医療・予防医学に重きを置くような世の中となるでしょう。
飛行機を使って世界中を移動することも無く、電池が無くなれば電気を消して寝るような、そんな、今より幾分不便な暮らしが、広く一般的に営まれるようになるでしょう。
文明の進展速度に関しても、資源の過剰な消耗による西ローマ帝国崩壊の後、西欧に文明停滞期が訪れたように、21世紀は否応無く文明の停滞期となるでしょう。


9.化石燃料に代わるエネルギーと水資源維持システムの確立
高効率化を図り自給率を高めると共に、私たちは、石油に代わる輸送エネルギーの確立、水資源の維持システムの確立(水資源の維持システムは水資源が枯渇し続ける北米大陸やユーラシア大陸向けであって、そこでの農業を成り立たせる為に必要です。(※1))、それらを用いた、海外の広大な耕作地からの食糧流通システムを確立して、人口崩壊の回避を目指さねばなりません。
これは日本のみならず、世界を救う次世代のシステムを確立する事ともなります。

ところで、次世代のエネルギーシステムの担い手が原子力発電では無い事は明らかです。



第2次大戦で主力戦力となった潜水艦も飛行機も、第1次大戦で既に姿を現していました。 冷戦時代に主力戦力となった核兵器は第2次大戦中に姿を現していました。
次世代のエネルギーにしても同様でしょう。 常温核融合のように噂ばかり喧しくて実現化していないエネルギーは、次世代の主力エネルギーになり得ません。 既に今、次世代の主力エネルギーは私たちの周りに顕在化しているはずなのであって、それは、例えば風力発電や太陽光発電、小規模な水力発電などと、残り少ない化石燃料の補助的な組み合わせとなるのでしょう。
そして送電ロスを省く為、住居の近くでエネルギーを得る事になるのでしょう。

ただ、これらは今の環境収容力を今より下回って維持する事が出来る程度であって、環境収容力を大幅に拡張するものとはなりません。


10.障害
私たちは、社会全体をこれら再生可能な自然エネルギーに基づいて運用するように変えていかなければなりませんし、併せて、高効率、脱工業的、適度な人口抑制が効いた、持続可能な社会に切り替えて行かなければなりません。
社会を変えようとしても、実際それを行うとなると、あまりの事にどこから手を付けたら良いか、わからなくなりがちです。
まずは私たち自身が、それを体現する事で始めるしかありません。

"Be the change you want to see in the world"
「あなた自身が、この世で見たいと思う変化にならなくてはいけない。」
マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)の言葉です。

未来へ至る道筋はここまで書き綴ったようなものです。
このような持続可能な社会を私たちが形成するまでの紆余曲折と、その変革速度の早い・遅いに関わらず、また、個人の意思や、企業の思惑、国家間の利害関係も関係なく、いずれ私たちはこのように暮らす事になるのでしょう。

もちろんこうした変化は速やかな方が好ましいです。 しかし今の社会の仕組みを変えるとなると、抵抗は強固です。
利権団体、とひとくくりに言ってしまえばそれまでですが、石油関連企業や電力会社、そこで働く人々を筆頭に、自動車業界を始めとする大量生産大量消費の企業群もそうですし、そういった人びとを相手に生計を立てる人びとも膨大です。 そして、そういった団体や企業にとって、持続可能な社会運営は不利益になりがちです。
スポンサーとしてテレビやラジオ、インターネット等のメディアを抑えており、また今の社会の中でオーソリティーとして存在しているこうした団体や企業は、その特権を使って時代の流れを押し留めたり、わずかずつ譲歩するだけでその座を降りようとはしないかも知れません。
変革する側が、メディア力を駆使したり、オーソリティーとして権威を保持する事ができて、時代の変化をもし促進出来たとして、仮に、持続可能な社会への移行にこれら団体や企業が強調したとしても、ビデオの規格統一を巡る争いと同様、電力などの規格・デファクトスタンダードを巡る利害調整などに手間取り、もたつきく様子が目に見えるようです。

企業や団体ばかりではありません。 一方で私たちの常識も、社会変革の邪魔をします。
これが当たり前だと思って暮らす日常や、無意識に行う行動のひとつひとつが、いわば旧来の習性をなぞっているのであって、これらひとつひとつを変えていくのは、いくら意識し、自らに強要しようとしたところで、難しいかも知れません。

こうした理由も手伝って、変革はとてもゆっくり進むかも知れません。 私たちがゴールになるべく速やかに到達出来る事を願わずにはいられません。


11.次善策としての自衛とその限界
持続可能な社会への変革はとてもゆっくり進むかもしれません。 ですからできればその間持ちこたえられるよう、次善策を備えておきましょう。

食の自給、エネルギーの自給は、次善策の一例ではないでしょうか。

NHK プロフェッショナルで紹介されていましたが、今では有機農業の世界でその名を知らぬ者はいない金子さん。 有機農業を始めた当初、「6年間収入無く、有機農業をやめようとおもったこともあった。」とか。 壮絶な経歴をお持ちです。

そんな金子さんは、エネルギーの自給自足も目指していらっしゃいます。
例えば、家畜糞を発酵させて得られたメタンガスを、ガス灯やガスコンロ、風呂炊きなどに使われるなど。

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次なるテーマはエネルギーの自給

 食糧の自給の次に、わたしにとって課題となったのはエネルギーの自給をどうするかということでした。 使うとなくなってしまう石油や天然ガスなどではなく、太陽熱や水力、風力など、自然のなかにあって尽きることのない資源を使ってエネルギーを自給することに取り組んできました。
 わたしの住む小川町では1996年から有志が集まって小川町自然エネルギー研究会をつくり、自然エネルギー学校を開催しています。
 バイオガスは家畜の糞尿と水、生ゴミを次ページのような装置に送り込んで発生させるメタンガスのことです。 台所のガスはもとより、温水器や風呂、ガス灯などの燃料として使うことができます。 ガスと同時にできる液肥は田や畑の肥料として活用できる利点もあります。
 ちなみに五人家族一日のガスの消費量約2立方メートルを自給するには、ウシなら2頭、ブタなら8頭、ニワトリなら280羽、人間なら40人分の糞尿があることが目安になります。


太陽エネルギーを使おう

 太陽エネルギーを電気に変える太陽電池。 セルを配線し、プラスチックフィルム、強化ガラス、アルミフレームなどを配し、太陽電気のモジュールを自分たちでつくります。
 わたしのところでは、バッテリーにためた電気を、水まき用の水あげポンプやカモの電柵に使っています。


炭のパワーを実感

 昔からの技術が伝わる炭焼き。 山にある間伐材を使うため、山がきれいになって一石二鳥です。 昔から伝わる農業は、山を含めた循環がなされていたのです。
 炭は燃料になるだけでなく、水や空気の浄化、防臭、防湿に役だち、苗床や田畑に細かく砕いて入れると微生物が活性化して生育がよくなるなど、使い道はたくさんあります。

残念ながら個人の自衛だけでは万全の備えとは言えません。
社会全体が、再生可能な自然エネルギーに基づく、高効率、脱工業的、適度な人口抑制が効いた、持続可能な社会に切り変って行かなければ、人口崩壊に臨んで行き場を失った人々から、その住まいも、その耕作地も、個人で自衛的に暮らしているその楽園的な暮らしも、いざと言う時襲われたり、奪われたりしかねません。
その襲う側も、大陸から流れ込む人びとなども想定されて(環境悪化の進行が日本より数倍酷い大陸から日本への移民の流入なども想定されます)、日本人だけとは限りません。 

その上、飢饉は政治的に、より農村地帯へとしわ寄せを及ぼすようにバイアスを掛けられます。 例えば、大躍進政策が執り行われた時代の中国で飢餓に苦しんだのは、食糧を生産する現場である農村でした。

 飢饉は国全体を襲った。北京ではバスケットボールのコートまでが野菜畑に姿を変え、200万羽の鶏が首都のバルコニーを占領した。国土の広大さと、自然条件や栽培作物の極度の多様性にもかかわらず、いかなる省も被害を逃れることはできなかった。この事実だけで、「一世紀間で最悪の天候」という公式の非難が空虚なことを証明するに十分であろう。実際には、1954年と1980根とは、気象学的には平年よりはるかに乱調に見舞われた年度だったが、1960年にかんして言えば、中国に120ある気象台のうち、気象台のうち、厳しい旱魃を記録したのは8地点だけで、並みの旱魃を記録した地点も3分の1を下回っていた。ところが、1960年における1億4300万トンの穀物の収穫は、1957年の収穫(1958年はわずかにこれを超えた)より26%も少なく、再び1950年のレベルまで落ち込んだのだった-この間に中国の人口は1億人増加したにもかかわらず、でる。
 しかしながら、備蓄食糧の配分と権力機関の近接性の点で恵まれていた都市では、打撃はそこまでひどくはなかった(たとえば最も暗黒に時期にあたった1961年に、都市住民は平均して穀物181キロを手に入れられたのにたいし、農村住民は153キロしか受け取れなかった。後者への食糧配給は25%減少したのにたいし、都市住民の減少分は8%だった)。この点で毛沢東は、彼を巡って美化された伝説(※4)とは裏腹に、むしろ中国の支配者の伝統に忠実に、農民と言う名の粗野で未開な人々の生存についてさえほとんど心遣いを見せることはなかったのである。

このような懸念を思うにつけ、嘆息せずにはいられません。

※1 化石燃料の枯渇以外に、水資源の枯渇も問題です。
水資源に恵まれた日本に暮らす私たちは、水資源の貴重さを忘れがちですが、例えば、北米大陸では大陸中西部の乾燥地帯カンザス州での農業に使われて、地下水の消費が著しく、オガララ帯水層は後20年持たないと言われます。

カンザス州を含む8つの州の地下には、巨大な地下水層がある。「オガララ帯水層」と呼ばれるこの地下水層の水量は4兆トン(琵琶湖150杯分)にもなる。
オガララ帯水層の水は、その多くが数千年をかけて蓄えられた水だ。しかし、戦後60年間でそれをほとんど使い尽くしてしまった地域が出てきている。 なかには90%以上を使い果たしてしまった地域もある。

水不足問題は、中国大陸においては黄河の断流などに現れています。 幸い、取水時期の季節的調整などの努力が実って、近年は深刻な断流現象は起きていないようですが、降水量の低下傾向もあり、今後も注意が必要です。

世界中で水資源の枯渇が懸念されています。
砂漠化は決して他人事ではありません。 情けは人の為ならず。 もし、砂漠の緑化が成し遂げられなければ、緑化された砂漠で得られる食糧を通して、もたらされるはずである日本と世界の人口維持も、夢と消えかねません。

※2 前漢末から三国志の時代へ、人口はおよそ1/6に減少しました。

 その昔、後漢末期に中国では人口崩壊が発生した。その大きな理由は気候変動である。『三国志演義』は、日本でも人気のある物語であるが、その時代を調査すれば戦慄を覚えざるを得ない。
 前漢末、6000万人近かった戸籍登録人口は、短命に終わった新王朝(西暦8-23年)期の動乱によって激減した。この動乱を収拾し後漢王朝を開いた光武帝は、都を長安から洛陽に遷し、対外的には消極政策を取って内政の充実を図った。
 それでも、光武帝の治世末期の戸籍登録人口はわずかに2100万人にすぎなかった。6000万人から2000万人へ減少したのだ。現代の中国の人口学者たちは、両漢交代期の人口崩壊によってわずか一世代の間に人口が半減したと見積もっている。
 後漢末には、戸籍登録人口は前漢末に近い5650万人にまで回復した。しかし、当時の中国の可耕面積と農業技術では、戸籍登録人口6000万人という数字が一つの限界であった。一人あたりの食糧供給量が低下したことで、社会不安が広まった結果、中国史上屈指の規模の農民反乱である黄巾の乱が起き(西暦184年)、『三国志』の英雄豪傑が地方に群雄割拠する動乱期となって後漢は滅亡した(西暦220年)。
 中国は魏・呉・蜀の三国に分裂したが、それぞれの戸籍登録人口は蜀が94万人、魏が443万人、呉が230万人に過ぎず、三国合計でも1000万人に届かなかったわけである。ちなみに、この三国を統一した西晋の戸籍登録人口は1600万人であった。


※3 気候が寒冷化して、食べられなくなった結果、人びとは農業を広く行うようになったようです。

 そもそも、なぜ、人類は農業を始めたのでしょうか。
 それは差異によって生じたと考えられます。人間は保守的な動物です。1日2時間の労働で生活できるなら農業をする必要はありません。労働に趣味の喜びを感じた人以外は、それを行わないことでしょう。
 しかし、人間の都合とは無関係に天体は動き、気候は変動します。ヨルダン川西岸のジェリコ遺跡などのヤンガードリアス寒冷期(1万年あまり前の最終氷河期後、温暖化し、一時、寒冷化した時期)の遺跡からは、栽培種の小麦や大麦が大量に出土しています。
 寒冷期の到来によって永遠不変に見えた狩猟採取生活に異変が生じ、生活変革を余儀なくされたのです。それが農業という技術革新を広めました。

※4
 西洋に長い間広まっていた神話のひとつとして、もちろん中国は民主主義のモデルではなかったにしても、「少なくとも毛沢東は一人一人の中国人に茶碗いっぱいの飯を与えることに成功した」というのがある。



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このブログ記事について

このページは、中野まどかが2010年7月19日 15:48に書いたブログ記事です。

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