改めて書かなくても、十分知っています、と言われそうですけれど、再確認のつもりで備忘録。
1.地球の環境収容力
中国バブル崩壊の懸念が出てきました。(※1)
憂慮すべき事態です。
けれど、この、憂慮すべき具体的な危機の向こうに、地球環境の有限性が透けて見えるように思います。
資本主義経済は成長を原動力としています。
けれども、あらゆる指数関数的な無限の成長は、環境収容力を上回って成長し続ける事が出来ず、環境の有限性(資源の有限性、食糧生産の有限性など)が遠因となり、いつかはその成長を阻まれます。
もし仮にこれから起こりそうな中国のバブル崩壊が当面避けらて、資本主義経済が延命できたとしても、いずれ第2弾、第3弾の危機が起こり、資本主義経済と指数関数的な無限の成長は打ち砕かれると思います。
「地球の石油は有限で、地球の資源も有限なのだから、石油や資源を消費し尽くすまで成長した経済成長は、そこで増加を止める。 そして、それ以上消費できる石油や資源が無いのだから、経済は急激に崩壊し、残ったわずかな資源で賄える程に激減する。」と言う、単純な理屈が、頑強に作用しているように感じます。
環境収容力が阻むのは、経済成長だけではありません。 無限の人口増加も同様に環境収容力によって阻まれます。
2.セント・マシュー島のトナカイ
セント・マシュー島のトナカイの逸話は、とても印象深いです。
第二次世界大戦のとき、米国湾岸警備隊はこの離島に隊員の食料資源として29頭のトナカイを放牧した。
島は何百年もかけて生育した4インチもの厚さの苔に覆われていた。
トナカイを捕る者がいなかったために、餌となったこの苔によってトナカイは1963年には6000頭にも増加した。

トナカイの数がピークに達してから3年以内に、その数は42頭までに激減した。
右のグラフは、オーバーシュートになるといかに急速に数が減少するかを示している。
苔の生育はきわめてゆっくりなために、環境収容力は6000頭よりもずっと少なかったのである。
生き物の数がオーバーシュートすると、かならずその後で大量絶滅が起きる。
トナカイを養った苔も、現代社会を支えて来た石油も、再生が極めて遅い資源・エネルギー源と言う点で同じです。
上のグラフはとても理に適っていて、単純です。 けれども、苔とトナカイを、そのまま石油と経済成長・人に置き換えれば、成長に基づく資本主義経済と世界の人びとの将来に待ち構える崩壊の度合いの激しさに、慄然とさせられます。
3.イースター島
知性を有する人類をトナカイと同列に扱うのは、あまりに的外れかも知れません。
次に、イースター島での例を見てみましょう。 こちらはトナカイではなく、社会生活を営む人びとがかつて辿った歴史です。
モアイで有名なイースター島に見る文明の崩壊の歴史について、ご存知だろうか。長く栄えていた文明もついには滅びる。人間の歴史の中で、多くの文明が生まれ、繁栄し、やがて崩壊して消えていった。そのような文明の崩壊の一例をイースター島に見ることができる。
アメリカの進化生物学者でありノンフィクション作家であるジャレド・ダイアモンドは、その著書『文明崩壊(上)(下)』(楡井浩一訳、草思社、2005)の中で、イースター島文明の崩壊について詳細に考察している。
イースター島は、太平洋の南東に位置する絶海の孤島である。イースター島に人が住み着いたのがいつ頃なのかについては、意見が分かれるところではあるが、およそ西暦300年から1200年までの間であろうと推測される。
(中略)
大型のモアイ像を運ぶためには、成人が500人必要であったと計算されるという。最盛期の島の人口については、6000~3万人までの諸説があるが、ダイアモンド自身は1万5000人という説を支持しているようだ。イースター島は12の氏族で構成されていたと考えられ、そうすると一氏族あたり1000人超えとなる。モアイ像を運搬するのに、成人男子500人必要という線もうなずける。
(中略)
こうした事業を成し遂げるためには25%も余計に食料が必要だったと推測される。食料だけではない。運搬するためには多くの木材を必要としただろうし、さらに樹皮から作る長い縄も大量に必要だったのだ。
それが何百年にわたって、全島で行われていたのだ。それだけの数の人を組織化し、事業に動員できるだけの社会システムと余剰エネルギーがあったのである。
花粉研究から、初めて人が入植した頃のイースター島は、幹の直径が2メートルという巨大なヤシなど、背の高い樹木が生い茂る亜熱帯雨林の島であったことが分かっている。それらは畑を造るために切り払われ、薪として利用され、また火葬の際にも使われた。しかし1300~1200年前頃から椰子の木は減少し始めたと思われる。
森林破壊は16世紀から17世紀にかけてピークに達し、1600年頃には、木炭に代わって草や芝が燃料となったと推測される。つまりこれは、木材の枯渇を意味している。漁労をするための、あるいは外洋を航海するためのカヌーを造ったり、モアイやアフを運搬するための梯子を作ったり、家を作ったりするための木材や、屋根を葺いたり、縄をなったり、布を織ったりするための樹皮など、さまざまな資源となり燃料となる木がなくなってきたのだ。
樹木が枯渇すれば、表土は流出し、土壌は侵食される。養分は溶脱し、作物生産は減少する。食生活の貧困化は、貝塚に捨てられている骨の分析から推測される。貝塚の分析によると、初期の段階では種々の海鳥、陸鳥、アシカ、ネズミイルカ、マグロ、甲殻類、ネズミなどの骨が確認できるが、年代が下がるにつれて貧困化してゆく。
ネズミやイルカやマグロの骨が見られなくなるのは、遠海漁ができなくなったことを示し、また陸鳥の骨が見られなくなったのは、絶滅したのだろう。末期には、人骨もゴミ捨て場から無残に砕かれた形で出土するようになり、人肉食が行われた事を物語る。1400~1600年の最盛期に比べ、1700年には人口も激減している。
(中略)
最盛期には1万人前後と推測されるイースター島の人口は、1774年にイギリス人のジェームズ・クックが、この島の調査をした時には600~700人程度になっていたといわれる。さらにヨーロッパ人がもたらした天然痘によって、多くの島民が命を落とし、残った者もペルーによって、奴隷として拉致されて、1872年の島民数は111人まで激減した。
また、ヨーロッパ人が羊を持ち込んだことで植物の根まで食い尽くされ、20世紀前半には自生植物のほとんどが姿を消した。
イースター島を現代の地球に置き換えてみる事は、トナカイを人類に置き換えるよりは妥当だと思われます。
ラパ・ヌイ(イースター島の現地語名)の住民が味わった悪夢を、できれば私たちは繰り返したくないものです。
まだ半分の森林が存在していたとき
ラパヌイのある長老は、山頂から谷の景色に見入ったであろう。
そして若かったころ、その土地には伐採された部分はほとんどなかったことを思い出していたにちがいない。
島民はかれらの生命サポートシステムを破壊することを止めるべきだという認識に打たれたことだろう。
彼は島民に今のまま伐採を続けることはできないと警告しようとしたであろう。
材木切り出し人が、「木よりも職だ!」と叫ぶ声が想像できる。
石像彫刻師は言っただろう。「石像作りは我々の文明の基盤だ」
宗教指導者は「ラパヌイの女性は神のためにさらに多くの石像を作るために、もっと子供を産まなければいけない」
政治家は「高齢化社会を維持し、経済成長を刺激するために、もっと多くの人々が必要だ」
地球は何時だろう...
地球の木や石油の半分を使い果たした今?
われわれの技術文明は、ラパヌイの悲惨な運命をたどるのだろうか?
人口がその環境収容力を超えた後:
人口は有限資源が減耗するまで増え続ける。
その後突然、飢餓、病気、戦争などによって人口が激減する。
もし環境が回復不可能なほど痛めつけられていなければ、人口は再び増加し始めるだろう。
もし回復不可能な状態であれば、人口は絶滅するか、または環境収容力が低減したために、低いレベルでわずかな数だけが生き残るだろう。
4.I=TAP
地球が有限なのですから、人びとがそのライフスタイルを、より一層、持続可能な割合を高めたライフスタイルに変えて行けないかな? と思いますが、解決は容易ではないようです。
1968年、ポール・エーリックとアン・エーリックは、公式 I=TAP で、I(環境への影響 インパクト Impact)が、T(テクノロジー Technology)、A(豊かさ Affluence)、P(人口 Population)に因る事、そして、T(テクノロジー)、A(豊かさ)、P(人口)という要因は、それぞれ積み重なるのではなく、互いに掛け合わせて増大する事を説明したそうです。
I(環境への影響)=T(テクノロジー)×A(豊かさ)×P(人口)であるなら、I(環境への影響)を減らす為に、私達ができる対策は、
「より人の手による労働力を使う(テクノロジーを減らす)」
または
「使うお金を減らす(豊かを減らす)」
または
「人の数を減らす(言い換えると、人口を減らす)」
または
これら3つを組み合わる
です。
しかし、テクノロジーを減らす為に、石器時代頃の生活を営む事、あるいは自動車や家電が無い生活を営む事は納得し辛いでしょう。
豊かさを求める人の性質は変えがたく、人間は所有物を増やすことを止められないし、また生活を向上させることを止められないでしょう。
また、人口を削減すべきだとしても、自分やその家族がその犠牲になる事を承諾する人はいないでしょう。
I=TAPの公式は、これら3つの要素を削減することを求めている。
しかしこれら3つの要素のどれかを一つでも自由意思で削減することは、人類固有の性質に反する。
われわれのテクノロジを減らすため、稼ぐお金を少なくすること、人口を調節することには、厳しい手段が必要とされるだろう。
知性としてそれが真実であることを知っている。感情のレベルでは、自分たちにこれらの変化を課すことは、表面的にしかできない。
食い改めるべきだと理解していても、叶わず、環境がその負荷に耐えられなくなって手痛いしっぺ返しを喰らわせるまで、人は、限界を越えて環境への影響を増大させ続ける性を持つようです。
5.環境収量力の拡張
公式 I=TAPの右辺が膨らみ、I(環境への影響 インパクト Impact)が増大して、環境収容力の限界に直面し、崩壊した文明は多いです。
例えば、前漢末、6000万人近かった中国の人口は、気候変動により、三国志の時代に1000万人弱まで減少しました。(※2)
逆に、環境収容力に対してI(環境への影響 インパクト Impact)が過剰になっても、それを受け止める環境収容力がより拡張したなら、問題は生じません。
生き延びようとする人びとの生存への希求は、幾度か環境収容力の限界を拡張させる事に成功して来ました。
ヤンガードリヤス寒冷期、気候の寒冷化に伴い縮小する環境収容力に対して、人びとは農作を始める事で、抗いました。 その結果、氷河期を過ぎても農作は継続され、その後の人口増大が賄われました。(※3)
新大陸、アメリカへのヨーロッパからの移民は、人口増大を、その人びとが暮らす地理的な環境を拡大する事で、解決しました。
石油をエネルギー源とする現代社会は、石油を利用して環境収容力を高める事で、現在の膨大な人口を養う事に成功しました。
しかし、環境収容力を拡張しても、やがて経済活動が成長し、人口が増大し、大きくなった環境収容力の限界によってさえ、いずれまた人びとは阻まれる事となります。
更に問題がひとつ。
石油は、セント・マシュー島の苔や、イースター島の森林にも増して、再生が遅いのです。
石油を使い切った後、人の生涯に比べて余りに長い石油の再生期間を待てない私たちに訪れる未来はどのようなものでしょう。
あるいはその前に、石油に代わる、環境収量力を高める代案を、私たちは見出せるでしょうか?
6.江戸時代
環境収容力を拡張する事無く、持続的に文明を維持する事に成功した例として、江戸時代の日本を挙げる事ができます。
戦国時代が過ぎて平和な時代となり、人口が増大し、1702年に、江戸は世界一の人口を抱える大都市となりました。
当時のエネルギー源であった森林は、伐採が進み、森林資源枯渇による土壌浸食、洪水の増加、緑肥・飼料の不足等により、人びとは飢饉に度々見舞われるようになっていました。
森林資源を奪い合いようなことになっていれば、環境はさらに破壊され、人口もまた崩壊していたことだろう。しかし、江戸文明は、強力な政府の施策によってこの危機を克服し、安定した人口と持続性のある資源消費率を、およそ2世紀にわたって達成したのだった。
施策の第一に、政府は木材消費の抑制を実施した。
資源の消費を抑制するには二つの方向からのアプローチがある。一つは一人当たりが消費する量を抑える方向であり、これには総量制限や、利用効率の向上などがある。もう一つは人口を抑制する方向だ。森林資源消費を抑えるための具体的アプローチとしてダイアモンドは、
消費を抑え備蓄するような施策
アイヌからの海産食料輸入
漁業技術の発達による漁獲量増加
人口のゼロ成長(晩婚化、長期授乳、避妊・堕胎・嬰児殺等)
軽量建築による木材使用量の削減
燃焼効率の高い「竈(かまど)」の普及
全体暖房から火鉢による局所暖房への移行
などを挙げている。一方で失われた森林資源を再生するために、
苗木の植え付け
緻密で厳格な森林管理システムの整備
を導入している。このような資源管理は、中央からの強力な指導の下、厳格に運用された。
ここで注目すべきは、それらの施策の導入の順序である。政府は木材生産を以前のレベルに戻すことを急がず、とにかく時間稼ぎをする消極策、つまり省エネ策を打ち出した。そして資源の増産といった積極策が効果を発揮するまでは、状況の悪化を食い止めることに専心した。
その間、林産物をめぐる基本原則を設け、木材供給過程(森林管理、木材運搬、木材消費)の各段階での管理体制を徹底し、育林に関する科学的知識体系(林学)の普及発達に努めた。つまり、最初に行ったことは「教育」である。消費を抑え備蓄に励むよう教育し、庶民の意識を変革する。また、森林管理・木材利用の法を整備することで、社会システムを整える。
次に「省資源の実践」である。省エネの工夫やライフスタイルの転換、そして人口抑制を促す。それが十分定着したところに「増産された資源」が投入されたのだ。
もし、この順番が逆だったらどうだろう。生活スタイルが変わらぬまま、消費構造が変わらぬまま、また、人口増加に歯止めがないままに木材流通を増やそうとすれば、森林伐採はさらに加速して、環境破壊と人口崩壊は、ポジティヴ・フィードバックを起こしたであろう。
江戸時代の政府は、その過ちを犯さなかった。まず、資本の原資蓄積を節約により生み出し、無理なく環境の変化に適応したのである。
海に囲まれて山が険しいため雨に恵まれた日本の、森林再生能力の高さも幸いしました。
江戸時代中期以降、人口およそ3000万人程度で安定したまま、日本は明治時代へ至りました。
私たちは、江戸時代の日本から何を学ぶ事ができるでしょうか。
6.効率化
I=TAPの公式から考えれば、T=脱工業化も大事でしょう。 A=贅沢の抑制も大事でしょう。 P=人口の抑制も大事でしょう。
人減らしのために、大掛かりな戦争などを引き起こそうと考える勢力もあるかも知れません。
けれど、多くの場合、人は生き延びる為に抗い、別の方法で環境収容力の限界を越えようとするでしょう。
脱工業化しなくても、人口を激減させなくても、A=贅沢、と言うより無駄ですが、今の経済と社会は、とても非効率で、まだ改善の余地が多いです。
例えば、
日本は年間1940万tもの食糧を廃棄していて、この廃棄量は世界の食糧援助の6倍近くになります。無駄の余りの壮大さに、絶句します。 飢餓に苦しむ人々は、本当なら6年間、救われたはずなのに。
この類の無駄を改善すれば、今は限界に近い環境収容力に対して、私たちはもっと余裕を持って日々の暮らしを続けられるのではないでしょうか。
例えば、あなたが、オーブンレンジを買った為、それ迄10年以上使い続けた後、不要になった電子レンジを、処分するつもりだったとします。 そこで、情報誌の「譲って下さい」の欄に、電子レンジを希望する人を見つけ、まだ使える電子レンジを譲る事ができたら、電子レンジを廃棄処分するより好ましいでしょう。
フリーマーケットや、情報誌に載った「譲って下さい」の欄は、効率が低いです。 フリーマーケットや、情報誌を介した融通の手段が、インターネット上で、多くの人びとによって、高効率に行われたら、無駄は大幅に減るでしょう。
今の経済は供給ばかり過剰で、売れ残りを廃棄するような仕組みです。
そのような経済ではなく、需要に対して、必要な時に必要なだけの供給をあてがう事ができるなら、無駄を大きく減らす事ができます。
経済の効率化と共に、倫理の高さも無駄を省く為に奏功します。
需要と供給がマッチングしている社会で、加えて、人びとが倫理的に行動するなら、人々を取り締まる警察や裁判もなくせて、それら治安維持に要するコストも下げる事ができます。
環境収容力の限界に直面して、人びとがこのような経済と社会の仕組みで持続可能な暮らしを営めば、まだまだ環境収容力に対してゆとりを持って暮らす事ができると思います。
人口を激減させなくても良いです。 ただし、人口増加を適度に抑制せねばなりませんけれど。
そして、その社会で使われるエネルギーが、江戸時代の森林と同じく、持続的な、再生可能なエネルギーであれば、万全でしょう。
環境収容力の限界を越えるべく、必要に迫られて、人びとがこのような経済・社会へ移行する事を期待したいです。